- 総括

1973年の発掘調査で判明した事項と問題点を整理し、総括にかえたい。
■墳丘
具体的な墳丘調査が実施されておらず、確定的ではない。
墳長72m、後方部48m×49m、後方部高8m、
前方部幅43m、前方部高6m
特に前方部裾部の取り方によっては80mクラスの可能性も考えられ、今後の調査結果を待ちたい。また葺石以外の外表施設などの情報はなく、北東・南西側に存在する平坦面の性格についても同様であり、総合的な墳丘調査が必要である。
■内部構造
後方部中央部に主軸に沿って竪穴式石槨が存在する。調査は石槨内を中心としており、石槨の構築法や墓壙などの情報が欠落している。この点は、特に東日本における前方後方墳墓壙研究において、大変重要な視点であり確認が必要である。
規模は長さ4.8mで幅0.96m、高さ1.2mを測る。
天井石には7枚の大きな板石を配し、槨内には木棺を安置した粘土床が存在する。小口部には微妙な彎曲が存在し、棺底部の構造も含めて粘土床の詳細な再検討が必要である。竪穴式石槨の北西には小石室状の施設が存在する。奈良県下池山古墳で確認されたものと同様な施設であるとすれば、墳形と所属時期や地域性といった観点から、研究の進展が期待できる。したがってその性格を把握することが必要である。
■副葬品
配置を基軸にして、地域性豊かな研究の糸口が見えてくる。まず、側壁に配置された多量の鉄剣、鉄槍、鉄刀類があり、これら多くの武器類は鞘入り、鞘装着のまま埋納されている。その内で鉄槍鉄鏃の西側には大きな空間が存在し、矢柄や長柄の存在が推測できよう。1m前後の大型鉄刀も含め組み合せと型式に特徴が見いだせるようでもあり、特に鉄鏃は明瞭に型式別に配置場所が異なる。埋葬に伴う副葬品配置そのものを再検討する必要がある。
同様に鏡の組み合せとその配置状況はきわめて重要である。唯一の棺内副葬品が中国製鏡ではなく人物禽獣文鏡の最古鏡A鏡である点は興味深い。さらにその鏡は意図的に破砕され復原配置されたものと想定できる。埋納鏡群は棺外で大きく4組見られ、すべて東壁の大型石材に立て掛けられるようにして配置されていた。個々に布に包まれ、5・6号鏡は箱に納められていたと思われる。この組み合せを埋納時における副葬順と想定すれば、まずA鏡群の人物禽獣文鏡Cから配置されD鏡群の人物禽獣文鏡の最新式鏡であるD鏡で終わることになる。いずれにしろ東之宮古墳出土鏡群にとって、人物禽獣文鏡の位置づけが基軸となる点は動かない。
■小結
人物禽獣文鏡を代表とする個性的な倭鏡群と、東濃産の石製品を所有する東之宮古墳の被葬者の存在が明らかとなった。これらは濃尾平野の弥生時代からの伝統的地域社会が育て上げた文化であり、高水準の工芸技術である。東之宮古墳の被葬者は、こうした優れた工芸技術集団を把握し、犬山扇状地から可児盆地にいたる古代邇波の領域全体に多大な影響力を及ぼした、先進的な為政者と位置づけておきたい。東之宮古墳造営主体の基盤集落として遡上に上げた鵜沼古市場遺跡群の評価が今後の重要な問題であろう。さらに倭王権との関係において、竪穴式石槨の構造や副葬品個々の詳細な分析等、今後に残された課題は大きい。
なお、造営時期は廻間III式中葉、三世紀後葉を中心とした時期と想定したい。